直火のたき火台です。 北海道のあるキャンプ場です。 ちょっと前までは直火のたき火が許可されていましたが、今は禁止になっています。日が暮れて食事も終わり、一息ついて、真っ暗な中でたき火を始めます。
●Youtubeで懐かしのTV,歌など本当に沢山楽しませて頂きました。もう二度と見る機会はないと思っていた渥美清さんの「泣いてたまるか」、タモリさんの「今夜は最高」などのお宝映像もあり、本当にいい時代になった思います。 ここ7年の間にYoutubeを見て私の心に響いた曲をお伝えします。
今までは私の中だけで響いて、それはそれで善としていましたが、なぜか無性に誰かに伝えたくなりまた。 多分、溜まりに溜まって溢れ始めたかもしれません。 共感できる人がいれば、とても嬉しいです。
杏さんの歌うキリンズのエイリアンズです。
エイリアンズは杏さんのカバーで初めて知りました。
聞いた瞬間に「あー、安部公房の世界だ」「燃えつきた地図」の中にあった公団の風景だ。 読んだことさえ忘れていた古い記憶が蘇ってきました。 当時何をしていたか朦朧としていますが、この本のイメージの記憶は覚えております。
どの部分かと言いますと、「公団」「誰かの不機嫌」「バイパス」「エイリアン」「仮面のようなスポーツカー」「暗いニュース」「月の裏」などのキーワードはありますが、個別としてでなく曲全体から受けたイメージです。
記憶にある「燃えつきた地図」のイメージは、公団住宅が象徴的意味で描かれていました。 全編通じて色のない灰色の世界で、暗く重く、希望が見えません。 突き放されて、すこし途方に暮れた感じが残っておりました。
私の中の解決しないまま残っていたひっかりのようなものが、杏さんの歌で一つの解を貰ったようでとても心地よいです。
乾いた曲と杏さんの伸びやかな声が、「燃えつきた地図」にはない微かな希望を感じる事できます。 それとギターも明るいです。
オリジナルのキリンズさんも秦 基博さんのカバーも、いいのですが、申し訳けありません、私のエイリアンズは杏さんです。
ぜひ皆さんも、杏さんのエイリアンズで「都市の時代」においても微かな希望を感じて頂ければと思います。
2017/5/6
■補足です(都市の時代からローカルの時代へ)
ウィキペディアに、安部公房自身が語る「燃えつきた地図」の意図の記述
がありました。それを抜粋すると
安部公房は、『砂の女』の主人公は〈逃げた男〉だったが、『燃えつきた地図』では逆に〈追う男〉を主人公にしたとし、「都市……他人だけの砂漠……その迷路の中で、探偵はしだいに自分を見失っていく。あえて希望を語りはしなかったが、しかし絶望を語ったわけでもない。おのれの地図を焼き捨てて、他人の砂漠に歩き出す以外には、もはやどんな出発も成り立ち得ない、都市の時代なのだから……」と説明している。
私の場合は見事に、作者の意図通りの反応です。 素直と言うか、分かり易く単純でした。 どおりで、希望も絶望もなく、突き放され、途方に暮れて、私を含めた多くの人々は、他人の砂漠に歩き出す以外の選択肢しか残されていませんでした。 なぜなら「都市の時代」なのだから。
凄い、安部公房 素晴らしい。 小説はその時代を表すと言いますので、正にその通りです、感嘆です。
それからかなりの歳月が流れ、エイリアンズが生まれました。「都市の時代」は今も続いております。
●杏さんのエイリアンズには「都市の時代」では本来ないはずの微かな希望を持つ一つの解がありました。 理由を考えてみました。 難しい事は安部公房さんに任せて、私はできるだけ具体的でシンプルに考えて見ました。
杏さんは育ちがよく、性格もよいのは誰でも分かりますが、個別の要因の個性を問うよりも、背後にある環境を考えて見ました。 ウィキペディアによると杏さんの育ちは東京の目黒です。 目黒と言えば、東京の主だったどこに行くのも便利で、東京生活を満喫できる素晴らしい場所です。
東京に職場があるのであれば、職住接近で生活と仕事をバランスよく暮らしの中で持ち続ける事ができる場所です。
例えば、芸能プロダクションの事務所や仕事場のファッションショウの会場を考えてみると、都心から遠く離れた電車で一時間の場所にあるはずはなく、勝手な想像ですが、青山、赤坂、銀座などを想定してしまいます。 ググってみました。 東京ガールズ・コレクション(これしか知りません)は代々木が会場です。 目黒から近いです。
私も都心で働いていた経験があります。 同僚の多くは1時間30分が当たり前の通勤時間でした。
私の通勤はすごく順調に乗り継ぎができたベストケースで1時間40分、ちょっと乗り換えが悪くなると軽く2時間を超える過酷なものでした。
毎日の事ですから、日が暮れ始めると、帰りの電車の時刻が気になりはじめて、そわそわしてしまいました。 人とのコミュニケーションより、まずは残った仕事を仕上げる、それよりも優先するのは帰りの電車の時間と言う調子です。 それで会社は単に仕事をする場所になって、本来の人間性を現す場所は郊外の自宅にいる時になっていました。
それで杏さんに話が戻りますが、杏さんの生活様式が都会にあっても職住接近のローカルです。 イベントが終わると打ち上げがあったりします。 晴れの日のお祭りのようなものです。 人々との繋がりを確認する場でもあります。 早い時間で終わる最終電車を気にする遠距離通勤者では最後までその祭りに参加が難しいですが、職住接近だとしっかり2次会、3次会と参加してコミュニケーションの維持と向上が図れます。
一人だけの話ではありません。 人は周囲の多くの人々から影響を受けますので、回りの多数派の人がローカルな生活をして「つながり」を持ち、お互いに良い影響を与え合っていたに違いありません。
これは都市の時代であっても、「つながり」のあるローカルであり続ければ、希望はあると言う事になります。
そして都市の時代とは、具体的な1つの大きな要因は長時間・長距離通勤が拡大したことにあるのではと思います。
元々が「つながり」を求める社会的生物である人がそれが希薄化する都市の時代に意図せず放り込まれ、更に行き過ぎたグローバル経済によりそれが行くところまで行ったしまった感があります。
行くところまでいってしまえば、次は巻き戻しが始まります。
イギリスのEU脱退、アメリカのトランプ現象、ヨーロッパでの民族主義やポピュリズムの台頭を見ると国家レベルでの大きな都市化の時代が極まり、その反転の兆しを感じます。 グローバルからローカルへの転換です。 東洋思想でいうところの「陽極まり、陰と転じる」です。 経済的側面も確かに大きいのですが、駆り立てる原動力となっているのは人間の生物的欲求が根底にあるのでと考えております。
まとめて簡単に言いますと、都市の時代において希望を感じるには職住接近のローカルな生活が必要です。 一人だけでなく多数の人がローカルな生活を行うことで織りなすローカルなコミュニティーが都市の時代において希望を作りだす可能性を持っております。 人間の「他者とつながりたい」と言う生物的欲求がローカル化を推し進め、大きな時代の変化を作りだそうとしていると考えております。 それで色々な場面でローカル化が進むことが予想されます。
追伸:
ローカルの時代について、知人に教えて貰ったのですが、ローカリゼーションのオピニオンリーダーで、『ラダック
懐かしい未来』の著者であるレナ・ノーバーグ=ホッジのインタビュー記事があります。もしよかった読んでみて下さい。
http://greenz.jp/2016/12/14/helena_norberg_hodge/
ザ・ピーナツさんと言えば、50年前以上に見ていた白黒TVの「シャボン玉ホリデー」です。
毎回、オープニングはザ・ピーナツさんのコントのからみがあり、牛が「モー」と鳴いてオチです。 それが番組の始まりでした。
当時私は子供すぎて、この番組の良さが分かりませんでした。
それで、牛の「モー」を聞き終わってチャンネルを変えていた記憶があります。
その頃は私の住む田舎町にも映画館がありました。
隣の家のおばちゃんからタダ券をもらって、よく怪獣映画を見に行きました。
怪獣映画モスラ―で聞いた「モスラ―や、モスラ―や」は好きな歌のひとつしてしっかり記憶に残っております。
それからは私の関心はもっぱら洋楽、フォークやロックとなり、ザ・ピーナツさんを自ら音楽として聞くこともありませんでした。
●それがYoutubeでは結構な頻度でザ・ピーナツさんを聞いております。
なんででしょうか?
「シャボン玉ホリデ―」を見ていた時に傍にいたおばあちゃん、おとうちゃん、おかーちゃんも亡く、その家は今は更地です。
当然、映画館もTVの時代が始まり、とっくになくなっております。
残念なことに、ザ・ピーナツさんも2つの星になられました。合掌です。
50年の歳月を感じます。
しかし私の頭の中では、Youtubeにある姿そのままのザ・ピーナツさんがあります。 私の家族のおばあちゃん、おとうちゃん、おかーちゃんも当時のそのままで、生き生きと私の中にあります。
■だから何だという訳ではありませんが、もしかしたらYoutubeで私の今のエネルギーの根源の再確認をしているかもしれません。
それと今を大切にしなければと思ったりしております。
セイコーの昔のCMにあった「一秒のことば」であったり、もっと家族と話したり、もっと人と話したいです。
■映画のタダ券をよく貰った隣のおばちゃんは今も健在です。
去年はそこで近所の人に集まって頂いてツボのワイポイント・レッスンのような事をしました。
普段、墓参りするだけの田舎でしたが、私の子供の頃をよく知る人と、鍼灸を通して繋ぎりができて、遠い故郷が近いものに感じました。 鍼灸師になって良かったと思えた瞬間でした。
私も楽しく、そして喜ばれたので、今年もなにかセミナーをしようかなと思っております。
2017/4/11
★ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京
これもよい曲です。 良かったら聞いて見て下さい。
綾戸 智恵さんのピアノがスイングしています。
清水 翔太さんのヴォーカル最高。
和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」のカバーです。
歌詞は阿久 悠さんです。
●音楽の楽しさが伝わってきます。
★「希望の匂いがする」 そんな人に成りたいと思っております。
2017/4/8
今日は小学校の入学式、明日は中学校です。
それで紹介する歌は忌野 清志郎さんと坂本 冬美さんが歌う、懐かしのモンキーズのカバーの「デイ ドリーム ビリーバー」です。
衣装が学生服とセーラー服なので、入学式繋がりです、オス。
●この曲からは歌う事の楽しさがダイレクトに伝わってきます。
特に坂本 冬美さんの歌は生き生きした楽しさに溢れています。
聞いているこちらにも、そのエネルギーが伝わってきます。
2017/4/6
★2番目に好きな坂本 冬美さんの曲は、ニューヨーク・ロケでの「ドゥワップのスキヤキ(上を向いて歩こう)」です。
興味がある方は下のURLです。
その曲は開始から9分55秒からです。
https://www.youtube.com/watch?v=GS64pYEugiY
即興ジャズピアニストで有名なキス・ジャレットが演奏するボブ・ディランのマイ・バック・ページ(My Back Pages)です。
たぶん35年程前になると思いますが、キス・ジャレットの即興演奏のケルンコンサートなどにはまっていました。
彼の過去の曲も知りたくなって「Somewhere
before」を買いました。
そのなかでこの曲だけが私にピンときました。 ピアノの演奏がキラキラ輝いているように聞こえて本当に美しいです。 それで折りにつけよく聞いておりました。
その後アナログの再生機もLPもなくなり、長く聞けておりませんでした。それが7年前程にYoutubeで見つけた時には感動でした。
当時 唯一のボブ・ディランのLPはベスト20でした。 それには入っておりませんでしたので、私にとってキス・ジャレットで初めて知ったボブ・ディランのバック・ページでした。
当然オリジナルを全く聞いておりませんでしたし、歌詞の内容も知りませんでした。
今回歌詞の(対訳付き)見て、流石、ノーベル文学賞、難しい過ぎてまったく分かりません。
しかし、1点だけ、そんな気持ちを持ちたいと共感できた部分があります。
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
ああ、あのときわたしは今よりもふけていて
今はあのときよりも ずっとわかい
ノーベル文学賞のボブ・ディランに近づけました。
●ボブ・ディランのバック・ページ 歌詞(対訳付き)
2017/3/31
若い歌手や今の歌はほどんど知らないのですが、たまたま清水 翔太さんはデビュー直後より知っています。 声がいいので私の大好きな歌手の一人です。
加藤ミリヤさん、最近まで知りませんでした。 このLove Forever と同時に1年ちょっと前に知りました。
Youtubeオタクの私が、この曲で特に好きな所は、
★オープニングのイントロが始まり、暗闇の会場から歓声があがるその瞬間です。 再生時間の1秒から4秒の間です。
適度の歓声の大きさで、本物を感じ、予感で期待が膨らみます。
★一番好きな所は、その後に加藤ミリヤさんが反転しながら「清水 翔太」と紹介する所です。 再生時間の7秒から11秒の所です。
何回聞いても加藤ミリヤさんの「清水 翔太」の呼び込み,それ自体がドラマです、最高です。
★その次にちょっと好きなのは、再生時間の41秒で両手を突き上げる瞬間です。
「今、まちがいなく、ここに存在しているぞ!」 雄叫びを感じます。
渥美清さん主演のTVドラマの「泣いてたまるか」の主題歌です。
1966年4月より放映されました。
当時小学4年生でしたが、毎週楽しみにしておりました。
画面のいろんな場面に、田舎の「ぽー」とした子供の私でも察する事が出来る、大人の世界の深くて暗い悲しみと苦しみが毎回ありました。
渥美清さん演じる主人公は、余裕も将来に対する展望もなく、「泣いてたまるか」の詩、そのものでした。
天が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ水が出る
俺が泣いてもなんにも出ない
どうしてそんな暗い悲しいTVを楽しみにしていたかと、今思うに、多分そこに子供でも分かる共感があり、暗い中にかすかな希望が見えたからと思います。
310万人が亡くなった戦争から20年ちょと経って、遠くなりつつあっても、大人はむろんの事、実体験のない子供までもその悲しみ、苦しみが脳のどこかに刷り込まていた時代背景がありました。
戦争体験や終戦直後の混乱と比較すれば、全ての問題が大した事がない。 それで「泣いてたまるか」もあります。
それよりも、みんながそれぞれの悩み、苦しみを持ち、同時に「泣いてもどうしょうもない」と理解していた時代だった気がしております。 それが良いか悪いと言う話でなく、そういう時代だったと思っております。
渥美清さん演じる主人公や、ドラマの中から本物の温かさが確かに伝わってきました。
もしかしてその温かさが、人に対する信頼感を生み、そんな人たちが一生懸命生きている社会は絶対に良いに違いないと信じ、そこにかすかな希望を感じとっていたのでと思います。
50年前のTVドラマの「泣いてたまるか」は私にとって、単なる回顧でなく、温かさと人に対する信頼感が希望と作る事を表現した古典作品です。
それと当時泣くことを止めた人が今見れば、きっと泣けます。