心を癒す自己暗示の方法をお伝えしています。 「今欲しかったのは、この言葉だった」と外出困難なメンタル患者さんよりすごく感謝されました。
元東北大学の教授で、日本のイメージング脳科学のパイオニアである、松澤 大樹先生の書籍「目で見る脳とこころ」の中で、脳の扁桃体のイメージング画像が何枚も掲載されています。 何枚もあるうつ病患者さんのイメージング画像では、扁桃体の周囲の脳細胞が欠落しているのが写っています。
その写真を見て、扁桃体の過剰興奮がその周囲の周囲の脳細胞の損傷を生み出していると私は理解しました。
同時に、扁桃体の周囲の脳細胞の損傷、欠落により脳が本来の機能を発揮していないので、様々なうつ症状を生み出していると松澤 大樹先生も言われていますし、私もそう理解しました。
ちなみに統合失調症の患者さんも同じように、扁桃体の周囲の脳細胞の損傷があります。 うつ病の患者さんとの違いは、その大きさです。 統合失調症の患者さんは、欠損が大きいです。
松澤 大樹先生は、扁桃体はこころの中核と言われています。
扁桃体自身は、情動反応(感情)の処理と身体からの様々な信号を束ねて処理して、危険回避の為に信号の分岐処理をしているところです。 それが「こころ」です。
その「こころ」の場所と、2600年前に生まれた仏教の開祖である、お釈迦様(仏陀)が仰っておられる「こころ」が一致します。
お釈迦様(仏陀)のいう「こころ」を南方系の仏教の解釈では、それは知覚情報、感覚情報のすべてから、「こころ」ができていると定義しています。 感覚情報系を処理しているのが「こころ」といわれています。
扁桃体の過剰興奮とは、生物としての生命を脅かす状態にあるので、生命維持を最優先する為に、最高度の警戒態勢に入っていることになります。 「どんなちょっとした変化も見逃さないぞ」というモードです。
それでちょとした、他人の言葉、視線、音、光、体の知覚なのに、過剰に反応することになります。
いろんな事に過敏です。 知覚過敏で、ちょっとした「はり」さえも大変に痛く感じ、「はり」がまったくできない状況もあります。
その扁桃体が過剰興奮して、周囲を傷つけているので、まずはその興奮を抑える必要があります。
南方系の仏教のいう「こころ」の乱れは、身体の外部と内部から来る、多数の知覚、感覚の情報、その物です。 瞑想はそれらの情報を遮断して、「こころ」の乱れを正します。
「こころ」の乱れを正す方法に、マインドフルネス(瞑想)があります。 マインドフルネスは仏教の瞑想から宗教的要素を取り除き、万人向けに適応させた瞑想の具体的な手法です。
「こころ」の乱れを正すには、マインドフルネス(瞑想)もいいです。 私もかつて瞑想に熱心に取り組んだ経験があります。 完璧でないにしても、曲がりなりに、雑念をカットし無我の境地入るというのは難しいかったです。 マインドフルネスを使い、短期間で効果を上げるとことは、それはちょっと難しいです。 それでキララ鍼灸院では、お手軽な自己暗示の言葉を唱えて貰っています。
自己暗示の言葉は、南方系の仏教のスマラサーラ長老の言葉を使わせて頂いております。 マインドフルネスと同じように、そこから宗教的要素を取り除き、普遍的な言葉だけにしたつもりです。
その心を癒す自己暗示の言葉を唱えることで、扁桃体の過剰興奮が収まることを期待しております。
群れを作り集団で生活している野生の動物では、群れから追い出され、一人になるとそれは死を意味します。
人も同じように、集団を作る社会的な動物であるので、群れから排除される危険性を本能的に察知したり、無意識の中で潜在意識化で、危険性を感知すると考えています。
今の時代、ライオンに襲われるような危機的状況はないので、このような社会的危機状況が多いと感じております。
分かり易い言葉でいいえば、勤め人であれば、生活の収入の糧を得ている組織から排除されそうな危機感を、本能的に、無意識のうちに感じることです。 それが現在社会の一番大きな生命の危険を感じる危機的状況と言えます。
あるいは、会社を家庭に置き換えてもらっても同じです。
その繋がりが感じられない疎外感や、グループからの排除を潜在意識で感じると、扁桃体の過剰興奮が始まり、潜在意識の感じ方が変わるまで、例え実際の危機が終わってとしても、その危機的状態が続きます。
「心を癒す自己暗示の言葉」を唱えることの狙いと期待について説明します。 その言葉の本文は下の節に示してあります。
その本文中で、「私は....」のくだりでは、危機にある自分自身に対する慈しみです。
南方系仏教と言うか、お釈迦様の教えでは、まずは自分が救われなければ、他者と救えないし、他者に対して優しくもできない。 それで最初に救うのは、自分であるといわれています。 それはエゴでのなんでもなく、ごく自然な行動です。
自分を最初にして、何だか「ずるい気がしたり」「後ろめたい気」がするのですが、そうでなく自然なことであるといっています。 なんだか救われます。
それに人が変わろうとする時は、結局は人に言われてでなく、自分で変わろうと思い、強い意志を持たなければ変われません。 自分自身の言葉が一番、己に響きます。 それで、自分自身に言葉を投げかけています。
病の時は、自分の事で精一杯で、他人のことまで考えが及びません。 自分のグループへの帰属の危機だけにスポットが当たっている状況です。 自分が一人ぽっちであると自覚している状況です。 その中であえて、仲間を気遣います。
「私の親しい人....」のくだりでは、自分が所属しているグループの仲間を気遣います。 それができるということは、自分がグループの一員であるからこそ、その中にいる仲間気遣うができることになります。 結果的に自分が、グループにしっかり属して、その仲間を気遣うことができる、グループを構成している重要メンバーであると「暗に」潜在意識の伝えます。 潜在意識には、この「暗に伝える」が大切です。
神様は完璧で失敗をしませんが、私達は、完璧ではありません。 ミスも失敗もする不完全な人です。 私も失敗するし、みんなも失敗します。
その前提で「私の嫌いな人....」と「私を嫌っている人....」を具体的に所属しているグループの人を思い浮かべながら唱えます。
私達は神様でないので、「許し、許さること」しかないです。
相手を許すことは、暗に自分を許していると潜在意識の伝えることになります。
それと同時に、「許し、許さること」を許容する所属するグルールの寛容力を潜在意識に伝えます。
その意味は、「ちょっとやそっとのことでは、グループから排除されないぞ」ということです。 「私は重要なグループのメンバーなので、絶対に排除されなく、大丈夫だ」ということです。 グループに対する信頼感です。
「私の嫌いな人.....」と「私を嫌っている人....」を唱えると、過去の嫌な記憶が鮮明に蘇ってフラッシュバックする。
そのようなことがあれば、「私の嫌いな人.....」と「私を嫌っている人....」の部分は唱えないで下さい。
トラウマの記憶が強化されることになります。 状況は改善せずに、反対に悪化します。
「私は....」のくだりでけを行って、まずは自分の癒しを最重視します。
もし余裕があれば、「私の親しい人..」の部分も唱えて下さい。
嫌な記憶を何回も呼び起こして、それに慣れさせることで、改善を図るという「暴露療法」があります。
ベッセル・ヴァン・ディア・コーク先生の書籍の「身体はトラウマを記録する」中では、その有効性が疑問視されています。
フラッシュバックが起こり、それによりトラウマの記憶が呼び出され、強化される。 実際の臨床でも、なかなか効果を感じられないと言われています。
脳の情動扱いとトラウマ記憶の仕組みを考えれば、暴露療法に限界や有効性が少ないというのは妥当な考えと考えています。
「心を癒す自己暗示の言葉」を唱えることで、「私は一人でない、グループに所属する、重要なメンバーである」と潜在意識に暗に伝えることの積み重ねで、扁桃体の過剰興奮が少しづつ収まることを期待しております。
1週間で効果を実感できるという人がいるかもしれませんが、一回唱えれば、直ちに扁桃体の過剰興奮が治まるというものではありません。
毎日、暇があれば唱えたら(最低でも1回に30分)、1カ月立てば、気のせいか何だか効いてきたかというレベルとお考え下さい。 1カ月の理由は、脳のシナプスの再配置が分かるには1カ月くらいとよく言われています。
しかし扁桃体の過剰興奮を抑制する方法として、マインドフルネスや鍼灸以外で、可能性を感じている数少ない方法の一つと考えております。
スマラサーラ長老の「歩く瞑想」という瞑想法があります。 歩く行為の実況中継に集中することで、邪念を払うという瞑想法です。
その「歩く瞑想」は、最低でも1回の1時間で、それを一日数回が推奨されています、それから比べたら負担は軽いです。
普通はできない扁桃体の過剰興奮の抑制を、言葉で行おうとしているので、それなりの量は必要です。
私は、幸せでありますように、
私の、悩み苦しみがなくなりますように、
私の、願いことが叶いまうように
私は、幸せでありますように、
私は、幸せでありますように、
私は、幸せでありますように、
私の親しい人が、幸せでありますように、
私の親しい人の、悩み苦しみがなくなりますように、
私の親しい人の、願いことが叶いまうように
私の親しい人が、幸せでありますように、
私の親しい人が、幸せでありますように、
私の親しい人が、幸せでありますように、
私の嫌いな人が、幸せでありますように、
私の嫌いな人の、悩み苦しみがなくなりますように、
私の嫌いな人の、願いことが叶いまうように
私の嫌いな人が、幸せでありますように、
私の嫌いな人が、幸せでありますように、
私の嫌いな人が、幸せでありますように、
私を嫌っている人が、幸せでありますように、
私を嫌っている人の、悩み苦しみがなくなりますように、
私を嫌っている人の、願いことが叶いまうように
私を嫌っている人が、幸せでありますように、
私を嫌っている人が、幸せでありますように、
私を嫌っている人が、幸せでありますように、
(2018/10/18 )
注意点を追加しました。(2018/11/11 )